1995年 Vienna to Turkey 編 1994年に行ったトルコを中心とした自転車スケッチ旅では、旅の終わりに自転車とともにすべてのスケッチを失うことになってしまいました。翌年、失った スケッチを復刻すべく前年の足跡をたどることとなりました。オーストリアのウイーンをスタートし、CZECHO、SLOVAKIA, HUNGARY, RO MANIA, BULGALIAそしてTURKEYへと自転車旅を行いました。
前年のスケッチポイントを再取材する一方、旅の折々に現地スケッチを重ねました。ここに載せたものは現地で描き上げた現場スケッチの数々です。サイズは いつも通りのF4です。スケッチ展でお買い上げいただいた作品は載せてありません。御所有の方は、そのスケッチがどの位置にあるか、ご確認しつつお楽しみ ください。
ウィーン一の繁華街。奥にシュテファン大聖堂が見える。左背後にはオペラ座がある。オペラのチケットを売るスタンドの軒下でスケッチしている。チケットを買うのは外国からの旅行者が大半のようだ。
シュテファン大聖堂のゴシック様式尖塔がそびえている。背後は美術館。クリムトの作品が充実している。背後では様々な国の言葉が聞こえる。中でも日本語が一番多いようだ。
泊まっている教会ユースホステルの近く。プラター公園内のサッカースタジアムへと、ドナウ運河を渡る橋のたもとにある。どう勘違いしたのか、日付が25日になっている。
第二次大戦禍をのがれて中世のたたずまいを残す街。川越しにコトノフ城を見上げる。岸辺の柳並木が綿毛を飛ばし、雲のようだ。きまぐれな時雨に悩まされながらのスケッチ。
このバロック様式の城の最後の主はオーストリアのフェルディナンド皇太子だった。彼は狩猟狂で、城内には無数の剥製や首級(TROPHY)が飾られている。
池を巡って子供達のオリエンテーリングがあるようだ。スケッチしている背後では、森の精らしき扮装のおっさんが待ち構えている。子供が来ると、大きな切り株に釘を打たせ、そしてカードにスタンプを押してやるのだ。
やはり時折の時雨に悩まされつつのスケッチ。
ゴシック様式のこの城は、14世紀にカルル4世によって建てられた。聖者の遺品を守り納めるために築城されたとか。 本日、休館日らしく表参道は閑散としていた。裏手のここはもっと静かだ。
道端の雨水をたっぷり含んだ地面にビニールシートを敷き、座り込んでスケッチを始めた。スケッチを終えてビニールをはぐと、尻跡の窪みには水が溜まっていた。
この橋を渡らずして、プラハを観たと言うべからず。タカの言。モルダウ(ブルタバ)川向かいにプラハ城が広がる。プラハは世界で一番美しい都、と実感できる。
モルダウに浮かぶ中州、射撃島というらしい、の先端からスケッチする。一組のカップルのほかには誰も来ない。しかし、川面に浮かぶ鴨が争って、騒々しく立てる水音に驚かされる。
カレル橋手前は音楽家、スメタナの博物館。橋の向こうには小さな教会がある。そのチャペルでモーツァルトのレクイエムが演じられたのを聞いた。一切電気を使わぬコンサートで、限りなく、モーツァルトの生きた時代の音に近いものだと思われた。
晴れ。久々の良天気。幹線を外れて田舎道をたどった。道をはずれ、ぬかるんだ畑道を自転車でよろめき走ってきてスケッチ。
田舎のこととて、道路にはごく たまにしか車の音がしない。ひばりのさえずり、大麦であろうか?麦畑を渡る風の音、そして咲き終わり近い菜の花畑の花アブの羽音。遠く、干し草をかき回す トラクターが見えるが、エンジンの音は響いてこない。
チェコからスロバキアに入って、いきなり暖かくなった。この右下に小さな菜園があって、そこに下る若夫婦と思われる二人に会った。確認を取ると、確かにこ の近くにキャンプ場があるらしい。宿探しの心配なくゆっくりスケッチできそうだ。二人にスケッチブックを見せて、ここまでのスケッチを楽しんでもらう。
目の前を鉄道が走っているのだが、幹線らしく、しばしば列車が走る。そのたびに視界が途切れるのだ。山の上に古城、ふもとは修道院か?水田のように見えるのは、淡水魚の養殖池かもしれない。
あのささやかな山脈の向こうはポーランドか?眼下に登ってきた道が伸びている。峠はまだまだか?自転車の押し歩きで登ってきてスケッチ。山が見えるうちにと、山から写生を始める。案の定、すぐに雲に隠れてしまった。
かつて、貴金属鉱業で栄えた小さな町。寂れてなお、中世からの街の様相がよく残っている。印象に残る町。今もスロバキア国家の造幣局があるようだ。昔からの貨幣鋳造所は博物館になっていて、実に見ごたえがある。
城郭の裏門脇にてスケッチ。 何人かの子供達が見物に集まってきた。民家の庭先を借りてスケッチしているのだが、この主人が現れて子供達を追い払ってしまった。邪魔にならぬように と、私に気を使ってくれたのだろう。しかし、主人がいなくなると、いつしかまた、子供達が集まっていた。その一人が手に紙を持っている。見せてもらった。 原色による色彩分割画面に人の顔があった。自画像か友人の肖像か、私に見せようと家からか学校からか、持ってきたものに違いなかった。
この教会の聖堂には立派な、歴史のあるパイプオルガンが設置されている。見学に入ったとき、練習であろうか、これが演奏されていた。私にとって初めて体 験する響きだった。地響きのような重低音、雷鳴のような大音響、そしてそよ風のささやきのような繊細な音。これを聞いた中世の人々は、神秘の奇跡を信ぜず にはおられなかっただろう。
今日は土曜日。午後、明日と店は休みとなる。キャンプ場から下って買い物に行った。帰りにスケッチ。近所の子供達が取り巻いた。あげく、家から紙を持ち出してきて、私のパレットと筆を使ってのお絵かき大会になってしまった。
若者達が街からハイキング姿で登ってくる。休日を山歩きやピクニックで過ごすためだろう。そして、私同様、買い物帰りの人達も。 (子供達はそれなりに元気だが、総じてスロバキアの人々は控えめで慎み深い。しかし、旅人への心温かさは随所で身をもって感じることができた。スロバキアへの私の親愛の情はいまだに変わらない。)
壁にもたれてスケッチしているのだが、背後は造幣局。壁の中では紙幣が印刷されるのだろう。この造幣局は七百年近い歴史を持つ。昨日は中から機械の音がしていたが、今日は土曜のこととて静か。ここは街のほぼ中心なのだが、観光客を含めても人通りは少ない。
バイエルか?ピアノの練習曲が流れていたが、お決まりの「猫踏んじゃった」に変わってしまった。
オペラハウス裏でスケッチ。狭苦しく座り心地の悪い窓外に、4時間腰掛けての労作。正面に聖イシュトバーン大聖堂が見える。リハーサルのアリアが響く。
オーブダ(北ブダ地区)のFOTER(中央広場)。このあたりはブダペストの中でも最も早くから開けた地区だが、今は繁華街から離れた静かな一角であ る。博物館やギャラリーがいくつもあり、芸術文化活動の中心一角をなしている。演劇のリハーサルを野外でしているのが見られたりする。
今日はバンド野外ライブ演奏があって、いくらかはにぎやか。リハーサル中からスケッチを始めたが、本番が終わって機材片付けが終わり、老人がベンチで憩う静かな広場に戻ってもまだ終わらない。
ボーカルの女性は、ユトリロの絵のようにヒップを誇張して描かれているようだが、実際に立派なヒップの持ち主なのだ。ライブ終了後、3人のボーカル女性達が見物に来た。そして、紙上のこれを指差して笑いながらなにやら話していた。
泊まっているキャンプ場(名は”ハワイキャンプ”)がある半島状の砂嘴に取り囲まれた入り江の中。ドナウ川の流れはかなり激しいのだが、ここは穏や か。河岸には船のドックが並んでいる。夕刻になるとカヤックやカヌーをこぐ人達でにぎやか。クラブ組織でトレーニングする少年達だろう、カヌーのラッシュ 状態になってしまった。
まっ平らな平原で、鉄道の踏み切りに座り込んでやっと見晴らしを得られた。昼時で、まず、朝来た作ってきたサンドイッチで腹ごしらえをして、スケッチに取り掛かる。 手前は麦で、その先は飼料用トウモロコシか?スロバキアでは穂が出て間なしだった麦も、ここでは収穫間近のようだ。
CLUJ-NAPOCAから北上して田舎を目指す。畑の中、土道を登ってきて、峠でスケッチ。遠くの岡斜面の斑点は木立か牛か?スケッチ中の交通量、車1台、馬車1台。
河原のような砂利道を登ってきて峠に達した。昨夏、ここで昼食を摂った。今年もランチにする。ついでにスケッチも。
この峠の交通量、少年と老人が乗った馬車1台。馬車は土道をガタガタ揺れながら下ってゆく。こちらを何度も何度も振り返る少年も揺れながら。
マラムレシュの山奥にあるブデシュチ村。木造教会をスケッチする。民家の門脇を借りているのだが、そこのおばさんが椅子とテーブルを持ってきてくれた。 その上、足元に茂るイラクサをむしってくれる。この毒草、見た目は日本の水辺でよく見る草そっくりなのだが、触れるとイラ毛虫に刺されたような感じにな る。おかげで快適にスケッチできた。
スケッチが終わるとその家に招かれた。お昼に、ルーマニア名物料理のサルマーレ(ロールキャベツ)をご馳走してくれたのだった。一家の写真を取らせても らおうとしたら、待ってくれという。しばらくすると、子供達が晴れ着に着替えてきた。帰国後、感謝の気持ちを思い返しつつ、この写真を、もらっていたここ の住所に送り返したのだった。
ホルサ村。民家の軒下を借りて、雪が残る山をスケッチする。この家の女の子は世話焼きで、尻の下への敷物を持ってきてくれる。水筒へ水を汲んできてくれ る。あげく、母親にセッついて作らせたのだろう、コーヒーと豪華なオープンサンドまで持ってきてくれた。場所を借りてお邪魔しているのに、大いに恐縮す る。
昨夏には裏手の草地からスケッチした僧院。泊まっている僧院脇の民宿庭からスケッチする。この僧院の屋根は板葺きだったのだ。高名な壁画が、梢越しに青く見える。
この宿のオーナー一家は子沢山で、にぎやか。洗濯干し物もにぎやか。夕刻なのだが、にわか雨にたたられて中断する。庭にテントを張って泊まっているのだが、テントの中で夕食にする。やがて雨が上がって、スケッチに戻った。
12世紀から開かれて、中世の様子をよく残す街。画面右はずれに、ドラキュラのモデルとなったブラド公の居城がある。
スケッチするそばに二人の子供が張り付いている。昨夏は公園でのスケッチで行儀の悪い子供達に悩まされたが。この二人は酸っぱそうな小ぶりの果実をかじっており、唾を飛ばす。スケッチ画面を汚すので気に障る。結局、終了までいた。3時間も、飽きもせず。
昨年にはスケッチする余裕なく、初秋の夕刻に見上げた、崩れかけた城郭と教会。今回は真夏の真昼に水平位置にながめてスケッチ。
畑作業をしていた一家が、この木陰に昼休みのためにやってきた。昼食を終え、かみさんと男の子は作業に戻っていったが、男は私の横でゴロゴロしている。腹具合が悪そうで、腹がグルグル鳴っている。
18世紀以降、ブカレストの王侯貴族の避暑地となったシナイア。この城はカロル1世が19世紀に建てた夏の離宮。
ボランティアであろうか、斜面で子供達がなれぬ手つきでヘイフォークを操り、干草作りをしている。家畜の餌になるのだろう。 スケッチする日陰は涼しい。登り坂でかいてきた汗が引いて、肌寒さを感じる。
トラキア平原に下ってブカレストまで30kmほどの地点にある。ブカレスト市民の憩いの場である。ルーマニアの都会あたりのどこでも聞かれたユーロビートのヒット曲がガンガン流れている。「、、、、ビーマイラバ、ビーマイラバ、、、、」 スタンドからミッチ(細長いミートボール、トルコならキョフテ)を焼く煙がなびく。買い食いしたが、ここのは冷凍物で味わいに欠けた。しかし、この林の中で食料を買えたのはありがたかった。
水深の浅いこのスナゴフ湖には小島が浮かんでいる。そこにはブラド、ドラキュラ公が開いた僧院がある。そこにブラド公の棺が安置されているが、遺体、あ るいは遺骨が見つかっていない。公の埋葬のときに嵐が吹き荒れ、僧院は湖水の中に崩れ落ちたという。それ以来、湖水が嵐に荒れるとき、湖の底から鐘の音が 響いて来るそうである。
ルーマニア国境からの幹線道路は、町村から隔離されてひたすら畑の中を走る。何kmも続くひまわり畑は見事。花はすべて東を向いていてこちらには背を向けている。道路べりに座り込んでいるのだが、道路向こうもひまわり畑が続いており、すべての花がこちらを向いている。
旧ユーゴスラビアの扮装最中、この道路がバルカン半島の大動脈と成っており、大型トレーラーや大型バスがつむじ風を巻き上げて次々と突っ走っていく。
ベリコタルノボ郊外、静けさの中に取り残されたささやかな僧院。昨夏、案内道路標識に誘われて何気なく訪れた。スケッチはしなかったが強い印象を覚えた僧院。幹線から、昨年は心細さを感じたほどの森の中の細い山道を登って、朝にやってきてスケッチを始めた。
院内には巨大な岩がいくつも転がっている。背後の崖から落下したものに違いない。巨岩の下から、敷きこまれた瓦や材木が覗いている。打ち砕かれた僧坊の 断面が、質素な室内をさらけ出している。中庭にはブドウ棚がこしらえられている。左手前の樽はワイン作りに使われていたものだろうか?
前のスケッチを終えて人気の無い僧房に上がり、崖の下の方を望んでスケッチする。下って湾曲部にベリコタルノボ市街を抱くヤントラ川がながれており、その川向の崖下にも一つ二つ、僧院が見える。 やはりこちらの僧房も断ち切られたように先が無くなっている。こちらは崖とともに崩れ落ちたようだ。
ここにいた数時間の間にここを訪ねてきたのは2組、片手で十分数えれる人数だった。ここの住人らしき人影は見ることができなかった。
ガブロボは職人の町として知られ、この博物館では、18,19世紀さながらの職人技を実地に見られ、産物も買える。 石釜で薪を焚いてパンを焼いたり、炭火でケバプチェ(細長いミートボール、ルーマニアではミッチ)を焼いたり、の煙が上がっている。もちろんスケッチ後にこのケバプチェを買い食いした。塩味はきつかったがおいしくいただいた。
プロブディフはローマ時代から栄えた古都で、トルコからの独立時にはブルガリアの首都であった。スケッチするこのあたりは、民族復興調の豪邸が立ち並び、古い教会もあり、博物館やギャラリーが集中している。観光客が最も集まる区画。
絵描きや土産物屋が商売に励んでいる。右手前の黒い装置は手回し自動ピアノで、時折、能の無い大道芸人が演奏する(ハンドルを回すだけ)。その音色は調子っぱずれなのだ。
昨夏には院内のこの聖ニコラス堂をスケッチした。空が明るくなってきたことだし、少し位置を変え、割り丸太のベンチに腰掛けてスケッチする。前回はこのベンチに老婆が座っていたのだが。
1837年に建てられたこの堂は、1840年にザハリ ゾグラフによって成された壁画で有名。
黒海岸の観光避暑地。ネセベルは長い橋に似た一本道で陸につながった、江ノ島状の街。古代から黒海交易の要所として栄え、各時代の遺跡が随所に見られ、19世紀からの民家が軒を並べる。
夏シーズン真っ盛りで、この小さな町は観光避暑客でにぎわっている。眼下の、遺跡を利用したレストランもまずまずの入りだ。係留された帆船は、イスタンブールとの定期観光航海に就くのだろう。
バイオリンの音が聞こえてきた。レストランのアトラクションかと思ったが、練習しているようだ。ショパンの「別れの曲」だろうか?
ネセベルと同様、島状に黒海に突き出た半島上にある町。やはり古代遺跡と古い町並みが美しく、避暑観光客でにぎわう。街の入り口のこのメイン通路は人で あふれ、様々な出店でにぎわっている。
昨年、この町でフル装備の自転車を盗まれた。このあたりの出店で、小さなボストンバッグといくらかの衣類を買い揃え たものだった。
木々がうっそうと茂るブルガリア側の山地から峠の国境を越えてトルコ側に下ってくると、乾燥して干からび上がった草地が広がっていた。まだヨーロッパ側なのだが、アジア側アナトリアを思わせる光景。ひなびた農家が無ければ、オーストラリアの内陸部をも感じさせられる。
トルコ伝統大型木造建築で有名な町。その昔、このあたりにサフランが群生していたことから町の名がついたそうだ。 朝に街に入り、早速スケッチする。
目前の家かど門で男がトラクターを動かそうとするが、なかなかエンジンがかからない。やっとエンジンがかかって、かみ さんと二人でトレーラーを連結する。そしてかみさんをトレーラーに乗せて、石畳の坂道を登っていった。畑に出るのだろう。
黒海岸の町CIDEジデの東10kmほどにある入り江。観光局のパンフに「ドリームズ カム トゥルー」と形容されている。昨夏に通りかかったときはス ケッチこそしなかったが、この言葉そのままに強い印象を受けた。昨夏は午前だったが今回は午後で少々印象が変わるが、スケッチすることにする。
いいポイン トを探して道を行ったりきたりするが、山側は道まで崖が迫り、海側は木々が茂って見通しが利かない。やっと見晴らしの利くポイントを得たが日陰が無い。暑 くて目もつらい。タイヤをきしませてカーブを回ってくる車にも脅かされる。我慢のスケッチ。救いは道端に茂る野生のハッカのさわやかな香りだ。
スケッチ終了後、画面にある海辺のレストランに下った。家主の家族と一緒に同じものを食べた。じっさまが、ヤマハの船外機のついた自慢のボートに誘って くれた。入り江を出ると、黒海の波は荒くてすぐに戻ったのだが。庭先の果樹脇にテントを張らせてもらい、夜を過ごした。
ここでも撮らせてもらった家族写真 を帰国後に、書き示してもらった住所に送ったのだった。
湾をめぐって、昨夜お世話になったレストランを正面に見降ろしてスケッチする。陽は山陰で、昨日と異なり、落ち着いてスケッチできる。ここでもハッカの香りがさわやか。 昨夕に乗せてもらった、じっさま自慢の純白のモーターボートが見える。ゆうべ、上がった後に布で磨いていたが、今朝も磨いていたのだ。
海岸線の幹線を離れて、わざわざ山の中の迂回路をたどった。廃屋をスケッチする。以前は岩を廻って小屋の前を道が走っていたようだが、いまは切り通しになって道は直行している。
よい天気だったのに終了間際ににわか雨に見舞われ、この廃屋の中に逃げ込んだ。中で仕上げ、昼飯にした。急斜面に立てかけられた小屋の窓外はよい眺め だった。 小屋の床は家畜の糞だらけだったが、その中にエンジンのガスケットやらパッキンの類が散らばっていた。昔は、車や農機の修理を営んでいたのだろ う。数mとはいえ、道が付き変わって廃業したと思われる。
黒海に突き出した半島に位置し、紀元前7世紀から栄えてきた町。旧市街は壮大な城壁に囲まれている。当然昔から変わらずに軍事拠点として重要で、遠くの岡の上に見えるのは米軍駐留施設。
前夏とほぼ同じ場所でスケッチする。外海に面したこのあたりは、やはり風が強い。シノップの裏通りといえるこのあたりは、車修理を中心とした町工場が並ん でいる。私のいるすぐ横で、男が消音機をつぶして石綿を取り出している。男はその健康上のリスクを知っているのだろうか?
トラブゾンは黒海岸にあって、東トルコで最大の都市。紀元前6世紀から開けた。ビザンツ帝国がイスタンブールから逃れてここに首都をおいた時代もあった。歴代の遺跡や建造物が多数残る。
このあたり、東部黒海岸は雨が多い。トラブゾンは雨がよく似合う。泊まっている安ホテルの部屋の前のテラスからスケッチする。鳩も煙突の傘の下で雨宿りしている。
つづら折れの悪路を霧雨にそぼぬれて延々登り、黒海岸地方と内陸を隔てるソーギャンル峠(標高2330m)を、山脈を乗り越してくる雲に終われるように 下ってきた。峠向こうの雨が信じられぬほど、カラッと晴れ渡っている。東部アナトリアの高地に入ったことを実感する。ここまで下ってくると、もう風の冷た さを感じない。
振り返って、越してきた峠方向をスケッチする。 道端を、澄んで、水の冷たそうな沢が流れている。沢に沿って伸びる細長い草地では乾草作りが進んでいる。
エルズルムは古来、キャラバン通商路の重要拠点として栄えた。今もアジアハイウェーの中継点として要衝を成す。しかし、1940年に大地震があって、多くの建造物が倒壊したらしい。
朝から、建物が成すわずかな影の中に座り込んでスケッチする。ここは標高2千mほどあり、涼しい。遠くの岡の上に城砦が見える。画面左で切れている建物は、この辺りに居た、かつての実力者の廟らしい。
スケッチするこの人通りの少ない通りには、カーペット屋が2軒並んである。小さいほうの店で、私はキリムとカーペットを買った。ここから日本へ送っても らったのだが、店主の親父は汗だくの大変な苦労をしたのだった。というのは、国外持ち出し制限がかかるほどの価値がこの古カーペットに無い、という証明を 博物館から取ってこねばならず、親父は重いカーペットを持って、博物館や郵便局との間を走り回ったのだ。
昨夏は雲に隠れることが多かったが、今回は晴れ渡っている。道端の空き家のロードハウスに入り込んで日陰を求め、スケッチする。
クルド人騒動警戒のため の、軍や警察の車両がみちを行きかって物々しい。バラバラと音がして、破れトタンのあおられる音かと思ったが、機銃の発射音だと気づいた。演習だろうとは 思うが。 岡際に日干し煉瓦土葺きの民家が集まっている。草を求めて移動するヤギや羊の群れが、かすかな土ぼこりを上げている。
(百年以上前、自転車で世界一周を目指した2組、3人のアメリカ青年が居た。西から来た二人はアララト山登頂にも成功して、中央アジア、中国を走り抜けて アメリカに帰った。もう一人は日本を走りぬけ、中国から東南アジア、インド、パキスタン、イランと経過してトルコに入った。しかし、まさにこのあたりで盗 賊によって殺されてしまった。)
昨夏には室内に泊めてもらったが、今回はテントを張らせてもらっているレストランのテラスに座り込んでのスケッチ。夜明けから、街を背景にするイシャク パシャ宮殿(17世紀クルド人王による)を見降ろして。
前年から修復工事でとっ散らかっていた宮殿は、今なお工事中。工事はかなり進んで、真新しい石材を きれいに積んだ部分がさらに広がっている。今回スケッチするに当たり、この新しい石材部分はすべて省き、無いものとして画面構成する。
物々しく警備された道を、何度もパスポートチェックを受けながら、ドウバヤズットから一日走って湖岸に達した。ワン湖はトルコ最大の湖で、塩水湖。湖面 標高は約1700m。
南岸の草地にテントを張った。北岸遠くに雪を抱く高山が覗き、日が暮れると岸辺にわずかなともしび灯火があった。空にはすばらしい星 空が広がった。
翌朝、夜明けに起きだしてスケッチした。 (この後、この地方に大地震があり、被害の大きさが報道されていた。ワン市内の光景は大きく変わったかもしれない。しかし、このワン湖の姿は変わらないだろう。)
昨夏にはこのケルバンサライの外周一部をスケッチした。
集まってきた子供達の言葉の中に、「キリセ」が聞き取れた。これらの穴居を基にした住居群はキリセ、つまりキリスト教徒が作り始めたものなのだろう。 あまりに子供達が騒ぐので、ついついこちらも悪態が口に出てくる。これは悪童どもに火を注ぐようなもので、ますます騒ぎがひどくなった。近所のオバハンが出てきて、私に立ち去れという。スケッチ途中だったがそそくさと画材を片付けた。 (これは帰国後に加筆して体裁を整えたスケッチである。)
カッパドキア地方の玄関口といえる町、NEVSEHILネブシェヒールの郊外にある村。自転車で走っていると黒々とした横穴口が目に付いた。自転車を停 め、道端の岩陰でスケッチを始めた。
岩山の穴居を基にしたこれらの住居の多くは無人化しているようだ。十字架を頂いたキリスト教会堂らしい建物がいくつか 見える。ここもキリスト教徒の集落だったのだろう。
野宿のテントを片付けて、早朝にスケッチ。朝日の中で遠くの山襞がよく見える。刈り取り後の麦畑が、これから越していくなだらかな丘陵へと続いて広がっ ている。硬くて侵食され残った岩を頂く岡は、女性の乳房のように見える。その背後にトロス山系の一部、ボルカル山脈が屹立している。標高3000mを越す 山々が雪渓を抱いて連なっている。このやまあい山間を縫って入り、山脈を越して地中海岸に出るのだ。
昼過ぎ、昨夏にシデに向かって走ってきた道を逆にたどり、スケッチにやってきた。このポイントは昨夏に感銘を受けたが余裕が無くてスケッチできなかった 所。
眼下にはホテルやレンタルルームの類が建ち並び、その先にカラフルなビーチパラソルが点在する砂浜が湾曲して延びている。そのあたりに私がテントを 張っているキャンプ場がある。そして、このあたりで最も大きいといわれているローマ時代の円形劇場が座っている。
乾き上がってパリパリになった刈り株が残る麦畑に入り、そこに生えた立ち木の木陰に座り込んでスケッチしている。観光パンフレット言うところの「地中海からの涼風に癒され」つつ。
幹線から折れてエドレミット湾北岸の田舎道をたどった。昨夏にはこのあたりで、たった一人で海水浴したことを思い出した。道と浜の間の幅の狭いオリーブ 園を抜けて、自転車を浜に降ろした。まだ10時前だが食事にした。食後、スケッチする。
霞んで見えるのはレスボス島の島影。ギリシャ領なのだろう。 聞こえるのは波の音、遠くにときたまの子供の声、そして風の音。風に揺られて落下したオリーブの実がパレットに当たって大きな音を立て、驚かされる。
典型的なイスラム様式の、古びた石橋越しに村を北からスケッチする。
ここは古代都市、アソスの跡地で岡の頂にはアクロポリス遺跡が保存されている。紀元 前6世紀に建てられたアテナ神殿は、知る人ぞ知る重要遺跡だそうだ。岡の南は急斜面でエドレミット湾に落ち込んでいる。その海岸には小さな港があり、昔の 役所を改装したホテルやレストランがある。
キャンプ場もいくつかあって、その一つに私はテントを張っている。ここで休暇を過ごす内外のツーリスト達は新鮮 な魚料理に舌鼓を打つのだ。
にわか雨に見舞われ、スケッチをやめて村の食堂へ向かった。(今回の滞在初日に、ここで食事を済ませて外に出ると、目前のジャーミー(回教寺院)の庭では結婚披露宴が始まっていた。誘われるままに、ここでもご馳走を存分に頂いたことがあった。) 浜のキャンプ場に戻ってスケッチに完成の体裁を施した。一日中重くかかっていた雲は払われ、青空が広がって涼やかな夕刻となった。
アソスのアクロポリスまで行くには、細い石畳の道をクネクネと、村中を登っていかねばならない。すると、このような民家が現れる。 登ってくる途中で一頭の離れ牛に出会ったのだが、その牛が右手の小屋に入っていく。ここに飼われていたのかと思ったが、この民家の住人らしい男に追い立てられ、この牛は私の横をすり抜けてどこかへ歩き去ってしまった。
家畜小屋のスケッチを終えて振り返り、背後になっていた路地をスケッチ。
スケッチ中にアザーンが流れてきた。昼時のお祈りへ誘う歌い上げだ。寺院 の尖塔に付けられたスピーカーから流れるのだ。3ヵ所から聞こえた。この小村に少なくとも三つのジャーミーがあることになる。聞こえたアザーンは三つとも 肉声かと思われた。一つはオンチっぽかったが、3唱それぞれに歌い手の人柄を表しているようで味わい深かった。
キャンプ場に張った自分のテントの前に座り込んで夕刻のスケッチをする。刻々と変化していく色彩、陰影を、その時々に、筆を入れている部分に適当に描き込んでいく。したがって、現実には、このような夕景はありえないだろう。本日は満月。
MARMARAマルマラ海の北岸を走る極悪路の田舎道途上にこの寒村がある。前夏には、強い印象を受けながらも素通りしてしまった。今回も一度は走り抜 けてしまったのだが、時間の余裕ができて引き返してきた。元はギリシャ人の村で、古びたギリシャ風の民家群が興味を引きつける。
タバコの葉を軒下の壁に干す民家を写生する。昨日写真を撮らせてもらった娘が、アイラン(発酵乳飲料)を持ってきてくれた。悪路の登り下りを繰り返して戻ってきただけに、とてもありがたい。
スケッチ終盤、馬に乗って精悍な顔つきの男が現れた。私の目前でふんぞり返ってポーズをとる。肖像画を描け、と言っているようだ。それまで、私の横に 10歳ほどの女の子がはべっていて、私が理解できぬのもかまわずにしゃべり続けていた。その娘が何か言葉を私に言わそうとする。その言葉をなぞって、私が たどたどしく言うと、娘はクスクス笑う。馬上の男を皮肉った単語だったのだろう。
村中には雑貨や食品を商う店が2軒あって、隣り合って建っている。その一軒でクッキーとコーラを買った。道向かいでこれを飲み食いして、そのままもう一 軒の店のスケッチを始めた。
やはり、タバコの葉が干してある。店の窓際には洗剤の箱が並べられ、ガラスにタバコ銘柄ステッカーが貼られたりしていて、ここ が商店であることを示している。(翌日、この店に入ると屋根の一部が抜け落ちて青空が覗いていた。2002年に尋ねたときには、その屋根は修理されていた のだが。) 窓の下に編み籠が重ねて置かれている。今はブドウの収穫期で、このような籠が活躍するのを何度も見かけた。
夕方になってスケッチを終え、村から下った海辺で営業していると思われたキャンプ場に向かった。
朝、テントを出てマルマラ海の波打ち際に降り、スケッチ。キャンプ場にはプラタナスの巨木が茂っている。秋色だろうか、塩害だろうか?黄葉している。吹く風も冷気を帯びて薄ら寒い。
キャンプ場横にはワイン醸造所があった。そこは編み籠に詰められたブドウが、車で、あるいはロバや馬の背に揺られて運び込まれていた。少量のブドウをこ こで分けてもらおうかと思っていた矢先、キャンプ場の親父さんが数房のブドウをくれた。小粒であったが、思っていた以上に甘くて味わい深いものだった。
このキャンプ場には常住しているらしい家族が居たが、客と言えそうなのは私だけだった。
昨日にスケッチした店屋の隣。やはりタバコの葉が干してあり、干される唐辛子の赤があで艶やかさをベゴニアの花と競っている。薪になるのだろう、ブドウの剪定枝が積み上げられている。
私が座り込んでいる陰を作っている家の表には、小さな小学校がある。スケッチしている私は子供達に見つかってしまった。私の周りで騒いでは、授業開始合 図のハンドベルに引き立てられて学校に帰っていく。こんなことが2、3度繰り返された。子供達は口々に「ギュレギュレ、カントン。」「バイバイ、カント ン。」と叫んでは、学校へと走り去る。
イスタンブール旧市街のスルタンアフメット地区には、若者向けホステルや安宿が集中している。私が泊まっている安宿の建つ路地突き当たりから、一段下の 路地をスケッチする。 トプカプ宮殿を取り囲む城壁かやぐら櫓の一部が覗いている。もっとも、この一角は軍隊の駐屯地か兵学校に使われているようだったが。
昨日の雨は上がったが、気温が下がって寒さを覚える。今日、水曜は市の立つ日で、スケッチする私の背後には野菜や果物を積んだ何台ものトラックが停まり、その先に陽覆いのシートが張られだした。































































