1992年 AUSTRALIA編 オーストラリア大陸を東から西へ、横S字状に走った自転車旅での現場スケッチです。自転車を提供してくれた米田氏を始め、荒野の道でオレンジをくれたパトーカーの警官、道を教えてくれた人々、好意を頂いたすべての方々に感謝します。
サイズはおおむねF4(MUSE W-F4 No.203)です。ご覧ください。スケッチ展で買い上げ頂いた作品は載せてありません。作品をお持ちの方は、それがどこに位置するかを考えつつお楽しみください。
行程図
01 SIDNEY郊外 BALLIの浜 5月28日
自転車旅が始まったが、キャンプ場でいきなりの連泊をする。朝、浜辺の遊歩道をスケッチ。 冬に向かってかなり寒いのだが、海にはサーファーのみならず、泳ぐ年寄りも見られる。
02 BALLIの浜 サーファー 5月28日
右から来た波と、左から来た波がぶつかって大きな波が立つポイントのようだ。波に乗るサーファーが小さく見える。
03 NAROOMA FORSTER’S BAY 6月1日
午後 ユースホステルに泊まっている。その舟付き桟橋に座り込んで、入り江の対岸をスケッチする。カキの養殖いかだが並んでいる。
04 LAKES ENTRANCE 6月6日
湖、河口、入り江など、水辺に恵まれた海岸の保養地。街を見降ろす小さな岡からスケッチ。西風が強い。
05 薪と籠 6月11日
マウント アイザ にある友人宅のひと一コーナー。古レンガを利用して建てたそうだ。粉糠雨がそぼ降り、暖炉の火が懐かしい。乾きが非常に遅く、長時間のスケッチになる。
06 SORENTO YH(ユースホステル) 近くにて 6月12日
近所に住むおじさん、おばさんが近寄ってきて「なぜ、あの家を選んで描くのか?」とたずねる。「ユースが近くにあるから。」と答えたが、答えになっていないだろうか。私にとって、モチーフは何でもよかったのだ。
07 GREAT OCEAN ROAD 6月15日
APOLO BAY のC.P.(キャラバンパーク)の裏手でスケッチ。じっと馬を見ていると、ポーズを取ってくれる。有難い。遠くの岬が通り雨にけぶっている。
08 BEACH-PORT のJETTY(桟橋) 6月22日
ユースホステルの受付は5時からで、それまでスケッチする。遠浅で、しかも満干潮差が大きいとなると、桟橋をこれほどまでに延ばさねばならなかったのだろう。 スケッチ終了後にFISH & CHIPSを買った。YHの入り口でこれを食べながら開館を待った。結局、5時前に開けてくれたのだが。
09 PORT-AUGUSTA(ポートガスタ)の操車場 7月1日
ここから鉄道は西に延びてパースに至る。ナラボー平原を抜けていくが、自動車路とはずいぶん離れた内陸原野を走る。鉄道に沿って土道が走っているが、それを自転車でたどるのは至難の業に思える。
10 PORT-AUGUSTA(ポートガスタ)のBP(バックパッカーズホステル) 7月1日
ここは交通の要所。道はナラボー平原を越えて西へ、あるいは大陸を縦断してノーザンテリトリーへと伸びる。いずれにしても、ここを出ると当分町らしいものはない。この町でただ一軒のこのBP、 おんなあるじ女主は看板書きに専心している。
11 WILD CAMP 7月5日
STUART HIGHWAY を北上する。原野の中で野宿。テント前でスケッチする。ハエがすさまじく、防虫ネットをかぶってスケッチする。強風にもあおられて、我慢のスケッチ。
12 COOBER-PEDY(クーバーピーディー) ボタに埋もれる廃トラック 7月8日
オパール鉱業の町。午前中ここでオパール原石おこぼれ探しをした。ヌードリングといって、道具を使わずにあさることは許されている。
13 COOBER-PEDY(クーバーピーディー) ボタ山群と廃トラック 7月8日
オパールを求めて、井戸のような竪穴が原野中に掘り散らかされている。ここを訪れるツーリストは、必ず、この落とし穴に関する警告を受けるだろう。
14 BUSH LAND 7月12日
エアーズロックまであと2日。このような荒野の光景が何日も続く。向かい風も。永遠に続くかと思われた向かい風だったが、今日は朝から追い風。今日の宿 泊予定地は近いし、ハエの来ぬ間にと、朝スケッチを始める。しかし、10時半を回り、陽が高くなると、すさまじいハエ群れにたかられる。防虫ネットに感 謝!
15 Mt. CONNER 7月14日
エアーズロック手前にある砂岩のテーブルロック、マウントコナー。
16 Mt. OLGA 7月15日
YULARAリゾートまで20km。目前にエアーズロックが迫ってくるが、道はさらにマウントオルガへと伸びている。
17 AYERS ROCK 7月16日
エアーズロック周囲を自転車でぐるっと回る。クローズアップでスケッチ。(今は登れないようだが、当時、岩の上はツーリストのてんこ盛りだったのだ。)
18 枯れ川のゴーストガム 7月20日
KINGS CANYON 近く、キャラバンパークまでもうすぐ。陽はまだ高く、スケッチを始める。 乾燥地ゆえ、草や潅木が主な植生なのだが、川筋には高木が生えている。川といってもほとんどが枯れ川なのだが。ユーカリはガムトゥリーと呼ばれ、樹皮が不気味なほど白い樹種はゴーストガムと呼ばれる。 パレットが黒くなるほどハエがたかる。
19 KINGS CANYON CAMP GROUND 7月21日
夜を過ごしたキャンプ場の朝。自分のテントの前から、車で旅をするキャンパー達をスケッチ。この人たちにコサックを勧められ、そこを訪ねるつもりになった。
20 キャラバンパークの一角 7月30日
乾草原野を突き抜けてオーストラリア大陸中央を南北に走るスチュアートハイウェイには、おおむね100kmごとにキャラバンパークが設置されている。そ の間では水も食料も燃料も手に入れることはできない。自転車で走れば、これらのキャラバンパークにテント泊を続けていくことになる。
21 MATARANKA HOMESTEAD 温泉 8月3日
ホットスプリングと称して、この流れにたくさんのツーリストが浸かっていた。テントを立てた後の日暮れ時に入ったが、ぬるくて上がれない。ダッシュでテントに帰ったが、震えた。
22 MATARANKA HOMESTEAD アリ塚 8月3日
大陸のきたはじ北端に近づいてきた。乾燥地帯を脱して、林の風景が日本人にとって身近なものになってきた。下草も乾燥地のツンツンしたスフェニフェクスと異なり、見慣れた草姿だ。墓標じみたアリ塚は異様に感じられるが。
23 枯れ川 8月9日
ここはNORTHERN TERRITORYでVICTORIA HIGHWAYを西進中。枯れ川底にテントを張った。朝、出発前にスケッチ。秋の落葉の風情だが、雨季乾季の違いによるもので、今が乾季だからなのだろう。
24 FIZZROY CROSSING の旧ポストオフィス 8月13日
かつてここは、荒れる大河、フィッツロイ川の唯一の渡河地点としてにぎわっていた。増水時には、人々は何日も足止めを食ったという。今は見捨てられた地点にあるこの建物はかつて郵便局であったが、今は人里離れた一軒家のバックパッカーズホステルになっている。 夜間は発電機を止めるので冷凍食品の買い溜めはできぬが、居心地のよい宿だった。
25 FIZZROY CROSSING のBOAB TREE 8月14日
ボーブトゥリー、アフリカならバオバブであろう。ボトルトゥリーとも呼ばれる。幹には水が蓄えられているとか、硬い卵状のナッツは食べられるとか、葉が茂れば日陰を作ってくれるとか、いろいろ言われて、原住民のアボリジンにとって重要な意味を持つ木である。 アボリジニ伝説によると、この木は昔、すらりと伸びる美形であったが、高慢ちきであったために、神様が懲らしめに引っこ抜いて上下逆さまに植えてしまったとか。
26 FIZZROY CROSSING のトラクター残骸 8月15日
宿のB.P.近くで、午前中にスケッチ。この原野はその昔、畑だったのだろうか? B.P.で飼われている黒犬がじゃれてきて、パレットを砂まみれにしてくれる。
27 FIZZROY CROSSING 河岸 8月15日
B.P.の裏手のフィッツロイ河畔。岸にもや舫われた手漕ぎ舟の中に腰掛けてスケッチ。岸では、朝のスケッチでパレットを砂まみれにしてくれた黒犬が、私がスケッチを終えてかまってくれるのを待っている。
28 CABLE BEACH 8月20日 朝
オーストラリア大陸北西端、BROOME郊外のケーブルビーチ。その昔、ここからインド方面へ海底通信ケーブルを引いたから、ケーブルビーチと名が付いたそうな。 数十日間、内陸の乾草原野を走り続けてきた末に見る海は感慨ひとしお。
29 CABLE BEACH サンドデューン 8月20日 午前
30 CABLE BEACH キャンピンググラウンド 8月20日 午後
ビーチ際のキャンプ場にテント泊しているので、ゆっくりスケッチ三昧。本日3点目。(夕方にも一点描いたので4点) 結局海には入らなかった。
31 BROOME近くの浜 8月21日
浜というより、ボートランディングというべきか?
32 BROOMEのショッピングセンター 8月21日
ブルームで最大のショッピングセンターの駐車場。ここで買出しをしていると、「また会った。」などと声を掛けられる。彼らはおおむね、退職した中高年夫 妻。キャンピングカーで少しずつ走っては泊まり、を繰り返して有り余る余暇を旅で楽しんでいる。トータルでの進行ペースがほぼ私の自転車と同じなのだ。 この広い大陸も、東西南北、遠くを目指すとほぼ一本道で、何度も会うとしても不思議はない。
33 BROOMEの海岸通り 8月22日
ビーチのキャンプ場から市内のホステルに移って泊まっているのだが、その近く。臙脂色のミニトラックはスズキのマイティーボーイ。白いロールバーが粋。
34 COSSACK 商店跡 9月2日 午前
一日で二百km以上、暗いうちから暗くまで走ってやってきたコサック。ひと一月ほども前に、オーストラリア人キャンパーに勧められたゴーストタウン。 ここは、西オーストラリアのゴールドラッシュ、続いての開発のアクセス港として、又、天然真珠採りの基港として栄えた。だが、泥で浅くなったことなどで この港は見捨てられ、万を数える人口があった町はまったくの無人の地となった。今は何人かのアーティストを中心として、コサックの整備保存が細々と進めら れている。
35 COSSACK 壁跡とガムトゥリー 9月2日 午後
スケッチする背後では、ベーカリー小屋のレストアー中。時々おがくずが飛んでくる。アッシュと名乗るこの大工も旅人で、このボランティアー仕事の屋根葺きが終わったら旅を続けるそうだ。
36 COSSACK 鉄枠とムルガの木 9月3日 午前
ハリケーン(タイフーン?)、塩分、木材を食い尽くすアリ、そして残骸の回収再利用のせいで、野原を歩いても家があったことを示すものはそう残っていな い。さびた缶やガラスの破片が散らばっているだけだ。ここにはベッドか門扉かだったと思われる鉄枠が残されている。そして、枯れたムルガの木。 コサックの町名は当時、寄港していた船の名前に由来しているらしい。
37 COSSACK 博物館 9月3日 午後
この建物はかつての裁判所。今はささやかな博物館になっている。 動物の踏み分け道をたどってスケッチポイントを探した。あちこちに糞が転がっている。カンガルーのものだろう、スケッチ中にカンガルーが姿を見せた。 岩のように見えるのは、おおむねアリ塚で、木材を食い尽くすアリの脅威を物語っている。
38 COSSACK 竜骨とボイラー 9月4日 午前
廃船と蒸気機関の廃ボイラー。満干潮差が大きく、満潮時にはこの竜骨も半分以上海水に浸かる。ここはマングローブの茂みの切れ目で、茂みの中に住む極小型の小鳥のか細いさえず囀りと、凄まじく群がるブヨ(サンフライ)の羽音に包まれてのスケッチ。
39 COSSACK 牧柵跡 9月4日 午後
ここにあった家では、庭を柵で囲ってヤギでも飼っていたのだろうか?底の抜けたフライパンの残骸が物悲しい。
40 COSSACKへ入る道9月5日 午前
コサックにきた日、二百km以上走ってきて、夜遅くなって最後にこの道をたどった。強い西向かい風に抗って。
一軒の建物の一室が旅行者のための宿泊施設になっている。私のほかの宿泊者は、一週間のうちで数人に過ぎなかった。食事は自炊、食材は自分で調達。ささ やかな売店はある。ベッドはあるが、毛布布団の類はない。寝袋持参で泊まるのだ。私は一週間滞在していたが、懐は痛まぬ上に実に気持ちよく滞在できたの だった。
41 COSSACK 学校跡 9月5日 午後
左手の建物は学校跡。右手は鉄道倉庫だろうか?貨車台が覗く。クレーンで貨車への荷上げ下ろしをしていたのだろうか? 連日、青空のスケッチになっている。今が乾季でたまたまのことらしい。ここに住むアーティスト達に言わすと、コサックらしからぬ空模様だそうだ。
42 COSSACKの岬から 9月6日 朝
岬の展望台からPOINT SAMSON を望んでスケッチ。内陸から鉄路で運ばれてきた鉄鉱石は、さらに沖まで突き出たJETTYの上を運ばれて鉱石 運搬船に積み込まれる。あの大型船舶は日本に向かうのだろうか?ひょっとしてKS(神戸製鋼)?だとしたら神戸港での繋離船バイトで馴染んだ船かもしれな い。 あのジェティーは高さも長さもオーストラリア一だそうだ。(このあと、内陸へ向かい、世界一規模の露天掘り鉄鉱山見学をすることになる)。
コサックの岬には墓地があって、日本人名の墓標も何基か立っている。真珠採りの過酷な潜水作業で、命を落とした日本人が多くいたそうだ。
43 COSSACKの鉄道橋跡 9月7日
POINT SAMSONに美味しいシーフードレストランがあると勧められ、一日がかりの自転車行をきめた。昼に海老を食べて帰ってきた。
コサック近くなってスケッチする。 コサック~ローバーン鉄道の小さな橋。最初は馬に引かれた貨車が走っていたが、蒸気機関車に取って代わられた。大潮満潮時には海水に浸かるのだろう、木材も鉄材もボロボロだ。
44 WITTENOOMの石綿廃鉱 9月13日(日付を間違えて記入している)
政府によって閉じられた町、かつて石綿産出で栄えた鉱山町、ウィットヌーム。その鉱山跡。石綿の針状の結晶が青い光を反射している。倉庫の日陰でスケッチしているのだが。その倉庫の中には、石綿を使ったボイラーや冷蔵が山積みされている。良い気はしない。 (1992年当時聞いた話では、従事者の石綿害(あるいは立ち退き?)保障が提訴されていて、この成り行きによっては膨大な補償額がからむ、というようなことだった。)
45 WITTENOOM GORGE, CATHEDORAL POOL 9月14日
谷を奥まで走って、道端で地元のおばさんが売っていたスクァッシュと手作りお菓子を買ってきた。帰り道に、池状に流れが淀んだ所でスケッチする。切り立った岩肌が、確かにヨーロッパで見る大聖堂に似ている。スケッチ終了後に泳いだ。水面に浮かぶう鵜とたわむ戯れて。
泊まっているBP(バックパッカーズホステル)に帰ると、ボールペンが届いた。おばさんから買い物したときに置き忘れたらしい。おばさんが、日本人自転車乗りに心当たりがある通行人にことづ言付けてくれたのだった。
46 WITTENOOM 無蓋映画館 9月14日
ほとんど雨が降らないこのあたりではの、屋根なし映画館跡内部。風に舞うチケット半券がわびしい。 空模様が怪しい。(このスケッチの後、続けて館内後方、映写機小屋方向をスケッチしたのだが、雨がパラついてきてあわてた。)
ウィットヌームはゴーストタウン化した後、戻ってきた人や新たに入ってきた人々によって町が再び型作られている。
47 WITTENOOM 競馬場 9月15日
オーストラリアでは、どんな小さな町にも必ず競馬場はある。ここで最後にレースが行われたのはいつだったのだろう?今日はここらではめったにない雨降り日。レース日にはバーだったと思われる屋根の下で、カウンターの上に座ってスケッチ。
コサックからウィトヌームまでは三百km近い乾草原野中の悪路だった。コサックを発つときには、2泊3日分の食料と20リッター程の水を自転車に積んだ。途中に2箇所で水を見て補水をしたが、三日目後半は水切れ脱水に苦しんだ。
48 CUE郊外のDAY DOWN 9月23日 昼
西オーストラリア内陸部を南北に走るGREAT NORTHERN HIGHWAYを走ると、ゴールドラッシュで賑わい、そして廃れていった町 をたどることになる。キューもそのような町でデイダウンは廃墟となった地区。 背後に金鉱のボタ山が連なっている。金鉱はいまだに操業されていて(かつて の残渣は、今の技術ならば再利用できたりもする。)この向こうから機械の音が流れてくる。小鳥のさえずりがこれに混じる。
49 CUE ガレージ 9月23日 午後
ホテルバーで昼飯(ここのハンバーガーは美味かった!)を摂って、この日3点目のスケッチをする。このトラックはダンプカーだったのだろうか?右端の錆機械は鉱山で使われていたものに違いない。
50 YALGOO 廃水槽 9月26日 その1
ヤルグーもかつて栄えた鉱山町。レンガ積みの上に乗った錆物は水槽だろう。蒸気機関車の給水用だったらしい。 この時期、西オーストラリアの原野はワイルドフラワーに覆われる。ここは黄色で染まっている。
51 YALGOO 廃水槽とスタンプ 9月26日 その2
この廃給水タンクは新しめ。右手の木製機械はスタンプといわれ、鉱石を砕く装置。
52 YALGOO 博物館から 9月26日 その3
ヤルグーにも、ささやかな博物館がある。役場から鍵を借り、一人で入って見学した。その庭先からスケッチする。この民家、人気がない。廃屋だとしても、空き家になって間がなさそうだ。
53 YALGOO 教会 9月26日 その4
ヤルグー近辺ではパンクに泣かされた。この時期、マキビシ状の草の実が地面に落ち、これがタイヤに刺さるのだ。一度に数箇所のパンク張りをさせられることもあった。ヤルグーから先は120kmほど、土道を走ることになる。
ヤルグーは、パース発の、車のエコランレースゴールになっている。この日は年一回のレースゴール前日か前々日だったが、町は静かなものだった。ヤルグー を発って会う車は、ダイハツシャレードが多かった。エコランレースカーだったのだ。(当時、エコランではシャレードが無敵を誇っていた。)これらの車には いさいさかドギマギさせられることとなる。極力ノーブレーキで、カーブでは曲率を大きく取って走ろうとするからだ。幹線道路に出たころに、 CHANNEL7のテレビカメラに写された。きっとエコランならどんな車も自転車にはかなわない、とかテレビで言ったのだろうと思う。事実は、自転車は燃 費が悪い。大量の食品と飲料を胃袋が消費するからだ。
54 ROOT NO.1 10月7日 午前
PERTHを発って2日目。海岸線を走る国道1号線を南下している。走り出して間もなくだが、道端のなんと言うこともない農場をスケッチする。
55 BINNINGUP 10月7日 午後
パースの130kmほど南方にあって、別荘が建ち並ぶが、海辺の小さな町。ここのキャラバンパークに泊まるつもりだが、その前にスケッチする。コーラの赤い看板と、青緑の海との対比に引かれる。
56 BINNINGUP のSAND DUNEにて10月8日 午前
CPに連泊して、近所の砂丘でスケッチ。海岸はるかにBUNBURYの町が見える。
57 BINNINGUP のGENERAL STORE 10月8日 午後
この町唯一の店で買い物をした。ガソリン、食料、そしてFISH & CHIPS をテイクアウト。フィシュアンドチップスを食べ終えて、店と海をス ケッチ。浜から上がってきたサーファーもこの店でFISH & CHIPS を食っている。この店のFISH & CHIPSは美味かった。
CPで友達になった少年二人が何やかや話しかけてくる。店で菓子を買ってきて、パッケージに彼らの住所を書いて私にくれた。そしてパッケージの中身も。 メモ紙のために欲しくもない菓子をわざわざ買ってきてくれたらしい。(後に、日本から2人にクリスマスカードを送ってやった。)
58 RAIN FOREST 10月11日
オーストラリア南西端は温帯雨林地帯で、巨木が茂る地域がある。先ほど、ツーリストインフォメイションで樹種について学んだ。自転車を停めて雨林のスケッチをすることにする。 JARRAHの木、KARRIの木。画面にはないが左手前にMARRIの木が生えている。尻の下でゴロゴロしているのは、この木の実だ。
59 DINGO FLAT 10月13日 その1
前日、VALLEY OF THE GIANTS その名の通り、巨木の茂る谷間を登ってディンゴフラットにやってきた。この農場はユースホステルも営んでいる。老女主人は私に5個の鶏卵をくれた。昨夜の宿泊は私一人だった。 気持ちよく朝を迎えて、朝8時からスケッチを始める。茂る巨木はJARRAHとKARRIの木々。
60 DINGO FLATの道 10月13日 その3
午後のスケッチ。午前中、ちょっと雨がぱらついたが、晴れてきた。陽射しがないと寒いが、日が差してきて暖かい。野うさぎが姿を見せていたが、目を離しているうちに姿を消した。 ハンティング娯楽のためにオーストラリアに持ち込まれたウサギだが、増えすぎて植物を食い荒らすのでペストといわれている。しかし、その姿はキュート だ。そのあとウサギ退治にキツネを導入したが、これがオーストリア固有種の動物を食い荒らしだした。つまりは、人間が一番のペストということです。
61 DINGO FLAT 枯れ木 10月13日 その4
スラッとした樹幹、スベッこい幹肌からして、この枯れ木はKARRIの木だと思われる。
62 DINGO FLAT KING JARRAH 10月14日 その2
昼過ぎのスケッチ。JARRAHの巨木の切り株。この切り株の直径は2、5m以上ある。直径2mを超える巨木にはKINGの冠が付く。株の根元に帯状の あと痕がある。入植者が草地を開くのに、巨木を切り倒すことができず、木の根元に環状の切込みを入れて枯らそうとしたものだ。
このあたりの巨木はすべて、先端部が枯れ上がっている。数十年前の大火で一面の焼け野になり、巨木は芽を吹き返したが、先端部は焼き枯れたままに残っている、ということだった。
63 DINGO FLAT 10月14日 その3
草地の中に入り込み、座り込んでスケッチする。草ダニがひどくいて、尻がチクチクする。
64 DINGO FLAT 馬と羊 10月15日 その1
今日は寝袋の下にひくグランドマットを持ち出した。草の上に広げて座り込んだ。ダニに邪魔されずに快適にスケッチする。少々風が冷たいが。羊は馬が怖くないのだろうか?一緒に草を食っている。 昨夜のYHはイギリス人やフランス人や、数人のお客でにぎやかだった。しかし全員、車で発って行く。スケッチする私に手を振って。
65 DINGO FLAT 10月16日
今日は雨。薪を割ったり、ストーブに薪をくべたりでYH屋内に一日過ごす。朝、キッチンの窓辺をスケッチした。絵の具の乾きが悪くて苦労する。 日本から持参の、ミューズ紙のスケッチブック4冊が終わった。パースで買ってきたアルシュ紙のスケッチブックに入って2点目。この紙はカゼイン引きで匂 う。しもごえ下肥じみた匂いだが、なれると懐かしい。初めてヨーロッパに行ったとき、ロンドンで買ったスケッチブックが同様に匂ったのだった。
66 DINGO FLAT 10月17日 その1
昨夜からのただ一人のYH同宿者。ドイツ人女性。本を読んでいる姿をスケッチさせてもらう。オーストラリアには、リピーターにさせられる魅力があるとこの女性は言う。このYHも初めてではないようだ。 カゼイン引きのこの紙、色の定着が良すぎて失敗線を消せない。にしても、人物画は難しい。
67 DINGO FLAT YH 10月17日 その2
朝は、昨日の雨が粉糠雨で残っていた。午後になって外へ出てきた。YHドミトリーの屋根と、それに続く道をスケッチする。
少女達が乗馬で遊んでいたが、スケッチする私の近くを走り抜けて姿を消した。 道は水っぽい窪地を抜けていく。ここはWAX TREEと呼ばれる潅木の茂みになっていて、ロウ細工じみた小さな白い花が地味に咲いている。それがかすかに香る。
68 DINGO FLAT 風車 10月17日 その3
オーストラリアの至る所で見かける風車。地下水を汲み上げるためのものだ。ここも夏には水が枯れ上がるのだろうか? 枯木立の幹に焼け焦げがある。このあたりを襲った1930年の大火によるものだろうか?
69 ESPERANCE ROTALLY LOOKOUT から その1 10月23日
ARCHPELAGO OF THE RECHERCHE 。RECHERCHEは船名。フランス語でリサーチの意味。ここで船が難破したのだろうか?外海の波が荒い。この大洋の先は南極大陸だ。ESPERANCEもフランス語で希望の意味。
70 ESPERANCE ROTALLY LOOKOUT から その2 10月23日
見る方向を変えてビーチをスケッチ。
71 ESPERANCE タンカージェティー 10月24日 その1
名前からして、タンカーが係留されたのだろうか?今は使われているようには見えないが。宵時にはここは憩いの場となる。夕涼みで散策したり、語らったり する人々でにぎやかになる。ここには蚊が来ない。エスペランスのYHに泊まっているのだが蚊が凄まじく、私は室内に自前のテントを張って寝ているのだ。 ジェティーの上にはハトが、下にはアシカが遊んでいる。
72 ESPERANCE 店 10月24日 その2
海沿いの町に見る、典型的な小店。釣具と餌、駄菓子、テイクアウトのファーストフード、レンタルビデオなどを商っている。
73 NORTHMAN CP のキッチンから その1 10月26日
ノースマンのキャラバンパークには自由に使えるキッチンがあって、実に快適だ。キッチンから外をスケッチする。先ほどセットした自分のテントと自転車。(これらは、ブルガリアで盗難にあって失ってしまうことになる。) ツルッとした幹肌の木はSALMON GUMと呼ばれる、この地方に特有の木だ。たしかに魚の肌を思わす幹肌のテカリだ。
ここノースマンが分岐点となり、東へ向かうとナラボー平原を越えてポートガスタに続く。ナラボーを超えてタスマニアへ帰るという、2台のクラシックカー が今夜の隣人だ。この2台はクラシックカーラリーに参加しての帰りだという。オーストラリアでは実にたくさんの旧車マニアに会う。
74 NORTHMAN CP のキッチンから その2 10月26日
オーストラリアで見る西の空色は特異だ。オレンジ色がきつい。空中の土埃のせいなのだろうか? このスケッチが終わったら、ここ、キッチンの蛍光灯の下で本を読む。パースで買った「ELENI」。
75 COOLGARDIE YH室内 10月28日
クールガーディーではユースホステルに泊まっていた。カルグーリーから東へ行く、週一本の列車待ちで何日かの連泊になる。 午後遅く、その室内から窓辺のスケッチ。古いガラス板が見せる、ゆがんだ外景が美しい。
76 COOLGARDIE YH早朝 10月29日 その1
朝早くに目が覚めた。YHのベッドの上でスケッチブックを広げ、窓外の眺めをスケッチする。
77 COOLGARDIE のホテル 10月29日 その2
クールガーディーもゴールドラッシュで栄えた町。当時にはさぞにぎやかだっただろう。この立派なホテル群。今は細々とレストランバーのみ、開いている。今、昼時なのだが、こののどかさ、静けさは!
78 COOLGARDIE WARDEN FINNERTY’S HOUSE 10月29日 その3
個人住宅だったのだろうが、今は博物館になっている。見学しようとしたが、休館日(木曜日)だった。ただ、スケッチする。
79 COOLGARDIE ペトロステーション 10月31日 その1
ガソリンスタンドの向こうにはボタ山がそびえている。ゴールドラッシュは引いて久しいが、ここでは引き続き、鉱業が大規模に行われている。ボタが真新しい。 画面の日付は記入間違い。本当は31日。
80 COOLGARDIE 廃鉄道駅 10月31日 その2
旧駅舎はささやかな博物館になっている。それは、田舎の小博物館の例に漏れず、ガラクタ置き場然としている。ここは家族が住み込んでいて、生活のにおいがする。 構内のこのあたりは野花がいっぱいだが、馬場になっている。近くにあるうまや厩からいばり尿臭さが匂ってくる。 花アブの羽音が眠気を誘う。
81 KALGOOLIE 廃クレーントラック 11月1日
クールガーディーから40km走ってカルグーリーに着いた。これで自転車旅は終わった。CP(キャラバンパーク)に入る前にスケッチをする。スケッチす るすぐ近くに深いシャフト(縦鉱)がある。防御柵はなく、覗き込んでゾッとした。カルグーリーはゴールドラッシュ起源の大きな町。このクレーン車も金鉱で 使われたものだろう。鉱業が今も盛んで、今日は日曜だが、鉱山の重機の音が響いている。 (カルグーリーから鉄道を行き来して、ADERAIDでF1グランプリ見物した後にPERTHに戻った。そこでオーストラリアの旅を終えたのだ。)


















































































