1994年の夏、イスタンブールを基点にトルコを巡り、ブルガリアとルーマニアに足を伸ばす、自転車スケッチ 旅を行いました。しかし残念なことに、旅の最後、ブルガリアでフル装備の自転車丸ごと盗難にあってしまいました。バスでイスタンブールに戻って帰国便を待 つことになりました。
失ったスケッチへの執着は相当なもので、翌夏に’94年の足跡をたどり、スケッチポイントを再取材しました。このスケッチは現地写真と記憶をもとに、帰 国後、94年旅スケッチ全点を復刻したものです。 阪神淡路震災復興チャリティースケッチ展でお買い上げいただいた作品は、載せてありません。このシリーズの作品をお持ちの方は、その作品がどの位置に あったものか、検討しつつごらんください。
アヤソフィアの先頭が覗いている。とある画家のアトリエ。モデルはアイルランドからのアーティスト。名はヤスミナ。スケッチ中にアトリエ主からもてなしあり。チャイ、サラタ、エクメク(お茶、サラダ、パン)。
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農地の中、侘しげな古代ローマ遺跡。人気がないと思っていたら、バスが停まって米人観光客がどっとやってきた。しばらくしてバスが発つと再び静寂に包まれた。 塔状に崩れ残った石積みの中段に、わずかな日陰を見つけた。危うい状態で座り込んでのスケッチ。
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メイン通路脇の松木陰でのスケッチ。ここが観光ガイダンスの最終ポイント。「この通路は港に通じ、シーザーとクレオパトラが手に手 を取って、、、、、。ここではしばしばコンサートが開かれ、○年にはローリングストーンズが、○年にはスティングが、、、。」と様々な言語で、最後のガイ ダンスが話される。
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ジャミー(回教寺院)の尖塔をスケッチする。きっと、元はこの上にも塔は続いていたのだろうが、一段目を残して崩れたものと思われる。ここからは見えないが丘の上から覗き降ろすと、この尖塔上には、コウノトリであろう、鳥の巣がある。
静かで落ち着いてスケッチできると思っていたが、バスが着いて一団の中学生ぐらいの生徒たちがどっと押し寄せ、大騒ぎに取り巻かれてしまった。
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マルマリスから一日極悪路を走って、半島の先端にあるクニドス古代遺跡にやってきた。レストランが一軒あるのみ、宿泊設備はない。浜にテントを張らせてもらい、夜を過ごした。朝に、入り江の対岸からスケッチ。 (この浜でイギリスの1ペニー玉を拾った。これを財布に入れておいた。帰国時、わずかに残った貴重品ポーチの中にこれもあった。今もキーホルダーにつながって、車の鍵紛失防止のお守りとなっている。)
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午後に遺跡の中から湾を見下ろしてスケッチ。マルマリスからツーリストを乗せてやってくる観光ボートが浮かんでいる。 (95年に来た時は、悪路はかなり改良されて舗装も進み、94年ほどの苦労はなかった。95年には、マルマリスへの帰りは、このような船に自転車とともに乗り込んで帰ったのだった。)
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古い家並みが残るカレイチ地区。ホテル、安宿、土産物屋が軒を並べる。道端に座り込んでスケッチしていると、子供たちが集まってくる。ある女の子は私の筆を使ってパレットの色を爪に塗っている。マニキュアごっこなのだろう。
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古代遺跡の横の砂浜にあるキャンプ場にテントを張り、早速画材を広げる。夕刻の地中海の中に浮かぶ中世の城郭スケッチ。見物していたキャンパーが、鶏はどこだ、と冷やかす。この城郭の中には鶏が放し飼いにされているらしい。 この城は「乙女の城」と呼ばれているそうだ。王女が殺害されるだろうと予言された王は、王女をこの城に隔離したのだが、結局、陸から持ち込まれたブドウ 籠に潜んだ毒蛇によって、王女は死んでしまった。という伝説があるそうだ。もっとも、陸とつないでいた土手の遺構が海底にあるとか。
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雪渓が白く輝くアイドス山脈。畑から帰るのであろう、家族連れが現れた。母親に言いつけられたようで、男の子がサクランボを持ってきてくれた。この白いサクランボ、スケッチしながら早速いただく。
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軟らかい岩肌に掘り抜かれたキリスト教寺院。レリーフの聖像の顔は削り落とされている。イスラムの教義に従っての所作だったのだろう。
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安ホテルの庭にテントを張って泊まっているのだが、そこから通り向かいをスケッチ。ここでヘルパーバイトをしている少年が、あの座っている少女は自分のガールフレンドだと、自慢げに言う。
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ギョレメから自転車をこぎ、小一時間でやってくる。陶器で名高いというアバノス。ここなら死角で群集に取り巻かれることもなく、陽射しからも逃れられ、落ち着いてスケッチできる。
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道から外れ、刈り取りの終わった麦畑に入る。立ち木の元で木陰に座り込み、スケッチする。迷い犬が涼みにやってきた。そして、眠り込んでしまった。 崖にある掘り抜きは教会寺院か、埋葬掘か?
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かつての隊商宿のケルバンサライ。外壁外側には商店などがテナントとして入っているが、内側は資材置き場になっていた。一商店の店先を借りてスケッチしているのだが、ここの、ひま気でひなびた店主からチャイのもてなしを受ける。
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古い建物に入ったショッピングモール。この区画には靴やカバンの店が並ぶ。2回正面の茶店、チャイ オジャグ の店主がやってきて紙幣を振りかざし、この絵を売れと言って聞かない。
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腹を壊してダルく(このあたりは標高2千mほどあり、後から思えば高地障害だったのかもしれない)、林の木陰に入って休む。そして、その場をスケッチ。干草作り作業から帰ると思われる少年が通りかかり、こちらを振り返り振り返り去っていく。
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トラックドライバー御用達宿なのだろう。質素な部屋だが据え付けられたストーブが、冬の厳しい冷え込みを物語っている。 (95年に写真を撮るためだけにここに入らせてもらった。宿主のいぶかり様はただ事でなかった。)
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ドウバヤズットから東に登ること5kmほどに、ISHAK PASA SARAI イサクパシャ宮殿がある。それを見下ろす位置に ポツンと一軒のレストランが建っている。食堂の奥の一室に泊まるのだが、レストラン客がいなくなるまで入れないという。それを待つ間にレストラン前からス ケッチする。画面の建物はイサクパシャ宮殿近くのジャミー。 (どうも宿泊は闇営業だったようで、‘95年に泊まりを頼んでも断られた。テントを外に張らせてもらったが、サソリが出るぞ、とか言ってよい顔はしなかった。)
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ノアの箱舟が漂着したとの伝説が残るアララト山、標高5137m。百年以上前、ヨーロッパからアジアを自転車で走りぬけた、二人のアメリカ青年がいた。彼らはそのときこの山の登頂にも成功している。 廃屋は古い遺跡のように見えるが、干しレンガの遺構ゆえ、雨風の浸食が激しいだけのものだろう。
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干しレンガ、土葺き平屋の建物。東部アナトリアの典型的な民家。家畜の糞を練り固めて庭に干し、そして積み上げてある。これらは貴重な、燃料や建材となる。
ここには小さい女の子がいるのだが、ツーリストを見ると金品をせびる。スケッチ中、あまりに小銭のせびりがしつこいのでキャンディーを渡した。すると一 緒にいた弟と激しく奪い合っていた。この地方では、ツーリストはみな、物をせびる子供たちに悩まされるだろう。古来より裕福な旅の実力者は金品をばら撒い て通行したという。彼らのDNAには、旅人から恵みを受けるのがあたりまえ、というのが組み込まれているのだろう。
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17世紀にクルド人王が建てた宮殿。この中を見学していると少年が近づいてきて熱心に案内してくれる。少年はクルド人なのだろう、実に誇らしげだった。
右奥にある白い建物が、私の泊まっているレストラン。
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泊まっているホテル、ベンルパレスの部屋から窓外を見下ろして夕刻にスケッチ。港の客船はイスタンブールに行くのか、黒海を渡って旧ソ連諸国に行くのだろうか? 一番近くのテーブルに着いているのは、金髪のロシア女性二人。春をひさいでいるのであろうが客が付かず、いつまでも一杯のチャイで座り込んでいる。
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チャイ(お茶)カヴン(ウリ)、、、。スケッチ中に何やかやいっぱい振舞われてしまう。飲み食いに忙しいスケッチ。兄ィが座るオリーブの屋台、描き忘れがある。それは商売の象徴、天びん量り。
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朝。街を取り囲む城壁の影でスケッチ。KARA DENIZ黒海からの風が強く、肌寒い。ここはバスターミナルの裏手になっており、便所と化している。糞尿の異臭が鼻を突く。
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昼。ホテル玄関の石段の片隅を借りてスケッチ。シノップの城壁は紀元前にから築かれ、何度も修復拡張が繰り返されてきた。石材のうち、正確に辺の出た、きれいな面を見せるものはギリシャ、ローマ時代の遺跡から取ってきたものだろう。
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町の名は、サフランの町、を意味する。サフランの産地だったのだろう。美しい木組みを見せる木造家屋群で名高い町。 ささやかな間口の店屋の前に据えられたベンチの片隅を借り、座り込んでスケッチ。やがて人が集まってきて、ヘイゼルナッツやらチャイやら、差し入れが集まってくる。筆を動かすより、口に物を運ぶに忙しい。
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案内された部屋の前でスケッチ。かつての隊商宿、ケルバンサライを改装したホテル。どっしりした石造り、石材むき出しの壁に雰囲気あり。トルコ出国前の贅沢にと、思い切って宿泊。バス、トイレ付きの清潔な部屋、朝食付きで一泊1500円相当。
部屋の鍵を返し忘れて、鍵を持ったままブルガリアへと国境を越えてしまった。すぐに郵送したが、距離は離れてないがかなりの高額送料になってしまった。
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左手に僧院が営む売店がある。僧坊の一つに宿泊していると思われる、足の悪い老婆が階段を下ってきた。私の脇を通って売店へ行き、買い物をする。そして、何かわからぬが私に語りかけた後、やっとのことで階段を登っていく。
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昨日のスケッチで見降ろした辻に座り込んでのスケッチ。正面にゲオルゲアディハウス、その奥に民族博物館と、民族復興期の代表的な豪邸が並んでいる。
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蛇行する川に守られた、古都ベリコタルノボ中心部。川に臨む崖の上が一番にぎやかな通りで、ホテルやレストランが並ぶ。川に面した廃屋のテラスに座り込み、落ち着いてスケッチ。 (今は、お相撲さんの出身地としてよく耳にする町の名だ。)
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狭くて急な、がたがたの石畳道を上り詰めて、民家の軒下に日陰を求めてスケッチ。住人のおばさんが窓からモモを差し入れ(この場合、差し出しか?)てくれた。早速いただく。みずみずしく、恐ろしくうまい。
この城郭は夜にライトアップされる。音楽にあわせて明かりが変化し、見物に値する。
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夕刻。薄ら寒い。教会らしい改装中の建物の、玄関に続く階段に腰掛けてスケッチ。遊んでいる子供達が集まってきて話しかけてくる。描いているあの家はだれだれの家だ、と言っているようだ。 夕暮れが迫り、遊んでいた子供たちは家に帰ったか、周りに人影がなくなった。
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道端の民家をスケッチ。なんとなく人気が感じられない家。この向かいの家の住人らしき老人が、かたわらにやってきた。犬と猫も。猫 はいびきをかく。犬は夢を見ているのか、足をびくつかせる。挙句に私のパレットを蹴飛ばす。老人にしかられ、突付かれた寝ぼけ犬は、わけのわからぬままに 哀れな悲鳴を上げた。
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本日は日曜。着飾った人々が歩いて下っていき、登って帰ってくる。村の教会へお参りしているのだ。かなりの距離があるのだが。この地方では、主な交通手段は足と、ロバあるいは馬の引く荷車だ。
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大きな門、板葺きの木造家屋。このあたりの典型的な民家。壁に掛けられた鍋の類が、鉢植えのゼラニュームと美しさを競っている。 プラムの木陰でスケッチしているのだが、見物していた少年がその木から果実を採って、いくつかを私におすそ分けしてくれた。
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ここMOLDOVA モルダビア地方には多数の高名な僧院がある。僧院は軍事拠点としての意味合いもあったそうだ。高い塀で厳重に守られたこの僧院は要塞のようでもある。 営業してないキャンプ場のバンガロー入り口でスケッチしているのだが、案の定、雨が降ってきた。しかし、終わるころには雨は上がり、また自転車を走らせた。
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僧院内の古い墓地は草地に利用され、干草が積み上げられている。リンゴの木も植えられている。落下リンゴを拾っていると、拝観券売り、兼ガイドの男がいくつかのリンゴを手渡してくれた。
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アルボーレ僧院から西へ数キロ走ると、木造板葺きの教会があった。法事があるようで人だかりがしていた。境内に入るのを遠慮してい たが、入るように言われたので、スケッチさせてもらう。あげく、とある墓の前で、強い酒が注がれたグラスを空ける羽目になってしまった。そして供物のパン ケーキをいくつか手渡されてしまった。 フラフラしながらスケッチ。いつしか人なみも消えた。静寂の中、通り過ぎる老婆がコスモスの花を2輪、手渡してくれた。
自転車をヨロつかせて帰ったキャンプでは、いただき物のリンゴとパンケーキで心温まる夕食を摂ることとなる。
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僧院の背後に回り、木柵を乗り越えて草地に入り、座り込んでスケッチする。朝霧がかかって乾きが悪い。紙面の乾き待ちがてら、腹ごしらえをする。そして、スケッチを続ける。
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みやげ物として売られる、張り広げられた手芸品が見事。おばぁ達は一日、針を動かすのだろう、たまの客相手の他は。


















































