2000 South America 編
2000年 South America 編 2000年、6,7,8月の自転車旅スケッチです。 ペルーのリマを始点と終点として、ボリビアへ、アルゼンチンとチリのごく一部をかじっての旅でした。アンデス山脈を越えて高地を走りぬけ、空気の薄さや 厳しい寒さや乾燥に耐え、悪路と激しいアップダウンや強風にも耐え、太平洋沿いの海霧も感じる行程でした。大自然とともに、アンデス地方の豊かな中世や古 代の文明を記す遺跡や博物館を見学したり、スペイン文化を色濃く残す古い町並みを尋ねたり、と実り多い旅でした。 旅の途上で、自転車を停めての、あるいはテントや宿から、さらには街中を歩いての現場スケッチの数々です。お楽しみください。
サイズはF4(MUSE W-F4 No.203)です。スケッチ展で買い上げ頂いた作品は載せてありません。作品をお持ちの方は、それがどこに位置するかを考えつつお楽しみください。
クスコ市内を見下ろす岡に残るインカの遺跡サクサイワマンの石積み。 巨岩の精緻な石組みには驚かされる。ガイドの説明が聞こえた。 ほかのは再建されたものだが、この門はオリジナルだそうだ。10時ごろからスケッチを始めた。始めは晴れていたが曇ってきた。 強い日差しが収まって、かえってラッキー。
2のスケッチ終了後、サクサイワマン入り口に戻り、クスコ市街を見降ろしてスケッチする。右手下部の中心部から斜面を登って家が続いている。 この入り口には生ジュースの売店がいくつかあるが、「オレンジジュース、フゴ デ ナランハ。ウン ソル。」と、景気悪そうな張りのない売り声が聞こえる。
5のスケッチを終えて走り出したが、岡の合間に雪山が覗いた。すぐに自転車を停め、線路の枕木に腰掛けてスケッチを又始めた。 二人の女子中高生が自転車を押し、線路を渡って帰っていく。この農家の娘達なのだろうか?
沼に遺跡が写り込んでいる。沼の水中には藻が茂っているが、漁師が網を仕掛けている。 スケッチ終了後、この遺跡に上がって見学した。この向こうには美しい湖水を湛えてウマヨ湖が広がっていた。
ラパスを出て2日目。Caracollo手前。なんということもない光景を道端でスケッチする。ショボショボ生えている作物は雑穀のキヌア。遠くに、放牧されている家畜の群れが見える。黒く大きなのは牛。首の長いのはリャマかアルパカ。小さな点は羊。
Challapataで昼飯を食って町を出たが、すぐに道端でスケッチを始めた。高地障害からか、下痢が続いており、食後の腹いたわりの期待もあってのことだ。 白く塩が浮いた湖。遠くの山が蜃気楼のせいで浮島に見える。そして、日干し煉瓦の草葺民家。
ウユニ塩湖を目指したが、道がわからずに得体の知れぬところを走ってきた。それでもそこに達したようだ。とりあえずスケッチする。陽射しは強くて暖かいと思ったが、陽射しをさえぎると紙面もパレットも凍りつく。空の青の色むらは凍結のせいだ。 塩湖面の蜃気楼のせいで、テーブル状に見える島や対岸の山が縦に伸びたり縮んだりする。遠くの雪山は、海に浮かぶ氷山のように見える。
真っ白な塩の湖上で野宿。未明、-20℃まで冷える。 朝陽が昇り暖かくなってテントの中からスケッチする。しかし、筆もパレットも紙面も陽光にかざしていない限り凍る。紙面に凍結のための色むらが残る.。 塩湖面はおおむね六角形の模様で被われている。物理的、数学的法則に則っての模様なのだろう。
銀山で栄えたポトシ。そのアヤクーチョ通り。立派なカテドラルの鐘楼がそびえている。合間に銀山、セロリコが覗いている。さびれたとはいえ、今も採掘がかなり盛んに行われている。 夕方になるとこの通りは車で渋滞し、見通しは利かなくなる。そこには数多くの乗り合いマイクロバスが走る。その横腹には日本文字がでかでかと書かれてい る。つまり、日本の中古車で、日本でのペイントがそのままなのだ。左ハンドルに改装されてなお。日本語ペイントがクールなのだ。なかには、日本語風ではあ るがちょっと間違った手書きのペイントもある。
Purmaharcaから西に折れ、チリとの国境を目指す。 道端から寒村をスケッチする。教会と2,3軒の民家。コーラの赤い看板が見える。商店なのだろう。サボテン、そして複雑な侵食面を見せる断崖が見事。 この後、アンデス越しの強烈な向かい風に苦しめられることになる。
Jamaハマ峠(標高4050m)手前のイミグレーションチェックポストで足止めを食らった。この先の氷雪のために通行止めだという。役人のいる宿舎以外、何もない。スケッチする他にしようがない。塩湖をスケッチする。
引き続き、2点目のスケッチ。小屋に立てかけられた自転車は私のものではない。 この後、夜をテントで過ごした。翌日も待たされたが、役所で昼食をご馳走になった後、やっと出国スタンプをパスポートにもらって出発許可が出た。
ハマ峠でアンデスを越し、アルゼンチンからチリに入った。日本中古車を満載したトレーラーに何度も会った。この道はおだやかで良く整備されていて、大型車両のアンデス越えに好都合なのだろう。 越してきた峠方向をスケッチする。終わって、そのままキャンプとなった。
キャンプの朝にスケッチ。日の出前からスケッチを始めた。高所から下ってきて暖かく感じたが、それでも氷点下だったようだ。あっという間に氷結してしまった。太陽待ちであたりを散歩するが、前日スケッチした富士山状の山の陰になって、なかなか陽が昇ってこない。 やっと、陽が差してきて筆を進める。火山があって、噴煙を上げている。しかし、実際はもう一つ左の山だった。紙面を汚してしまったので、そこに煙を描き込むことにした。右手下方にアタカマ盆地が広がっている。これはアタカマ塩湖だったようだ。
サンペドロデアタカマはアタカマ地方観光のハブとなる小町。ツーリストでにぎわっている。バスの駐車場からアンデスの山並みをスケッチする。日陰は寒い。終わるころにはゾクゾクしてきた。
パンナムハイウェーを北上して、チリからペルーに入った。国境を越して程なく、荒野の中に入り込んでスケッチする。海からのもやでかすんでいる。 終了後、そのままキャンプとなった。
チリ北部からペルー南部の海岸部を走ると、乾ききった平原を進むのだが、太平洋に流れ込む川は深い谷をなし、渡河の度に厳しい登り下りを繰り返す。 川を渡り、延々登ってきて平原が広がると、久々に雪山が望めた。スケッチする。
21スケッチの後、乾ききった平原をしばらく走って、下りにさしかかった。再び自転車を停めてスケッチする。 この橋で川を渡り、又、登って乾燥平原に戻る。川筋のみに緑野が延びていて、畑になっている。
カマラ川から引かれる灌漑用水もここまでか?畑の緑が絶え、この先には砂浜が伸びている。しかし、砂浜には畑の区画跡がかすかに残っている。 さらにこの先は山が海岸部に迫り、平野部はなくなる。
海を見降ろしてキャンプすることにした。まだ3時。スケッチする。 海からのもやがかかってぼやけている。右手には標高千mを越す山地が迫っている。風で波音がかき消される。右手の石積みの囲いには1畳ほどの空間があり、人の生活跡がある。こんなところに居住して、海から何かを採取していたのだろうか?
ハラへった。昼前、太平洋岸にある村に入る直前に、道端に自転車を停めてスケッチする。 教会が見える。スペイン風のノスタルジックな家並みの残る村だった。 村を過ぎるあたりにはバスターミナルがあった。そこは寂れた感じの村には似合わぬ賑わいを見せていた。
地上絵で有名なナスカ平原近くの町、ナスカ。連泊した宿は居心地が良かった。久々にあったかいシャワーを浴びることができた。夕方、宿近くの小公園でスケッチした。 靴磨き少年のチョッカイがうっとうしい。このスケッチに日付、サインがないのはそのせいだろうか?
リマでは旧市街中心部にあるHotel Residencial Europaに泊まった。実に快適な,リーズナブル料金の宿だった。 自室で朝食を摂った後で屋上に上がった。通り向かいのサンフランシスコ寺院をスケッチする。ここには地下納骨窟があって、有料で見学ができる。霧もやが薄まってきて、サンクリストバルの岡が見えてきた。
リマセントロのアルマス広場でスケッチする。大聖堂と旧市街の町並みの背後に、サンクリストバルの岡が霞んで見える。 靴磨きの少年達や、みやげ物を立ち売りする娘達に囲まれてのスケッチ。娘達とは一昨日前からの知り合いだ。暇を持て余している彼らの生活苦が思いやられる。
宿の自室で朝食を済ませ、屋上に上がってスケッチする。霧雨が当たるほどで、恐ろしく紙面の乾きが悪い。長い時間、3,4時間ほどか?かけて無事終了。政庁パレスの一部が覗いている。
昨朝同様、朝食後に宿の屋上でスケッチ。南を向いて。昨朝同様、やはり霧雨が当たる。 10時前に終了し、みやげ物買いがてら、スケッチに出た。
3朝連続の、宿屋上スケッチ。やはり霧雨が当たる。 隣の屋上にいつもの親父さんが現れて、ペルー国旗を掲げていった。宿の斜め向かいに建つサンフランシスコ寺院のドームが中央にある。 この旅の最終日で、夜には空港から飛び立つ。
夕方には、空港まで頼んでおいた、ぐたぐたの黄色いビートルタクシーが来る。それまでにと、大急ぎの、2時間ほどでのスケッチ。 サンフランシスコ寺院庭中でスケッチする。赤白のペルー国旗が立っているが、朝のスケッチで描いたものだ。この旗の立つ建物の先隣が、私の泊まっていた 宿だ。
ハトの群れが騒ぎ飛び立つ度に埃が立つ。小さな子供達がスケッチブックを覗き込むのだが、気になる咳をする。なんとも体に悪そうなスケッチ環境では ある。 ハシモトと名乗る少年に靴を磨いてもらいつつ、最後の仕上げに励む。磨く必要もない、クリート付きのうらぶれたサイクリングシューズであったが、商売とはいえ、ハシモト少年は丁寧に磨いてくれたのだった。
































